根無し草

根無し草

根を張らなくても生きて行けるのは人間くらいのものだ。
と、思ったけどそうでも無いらしい。
土着の人、という人もいる。
そういう人たちはその土地に根を下ろしているように見える。

 

私にはその根は無い。
恐らく多くの人には私のように根が無い。好きなところで暮らしても良いのだ。
別にそれは土着の人が好きなところで暮らせないということでは無い。
その土地、でしか生きては行けないもいるのだと思う。

私には根が無いけれど、根を土地に下ろしたいなという思いが最近強くなってきたように思っている。


自由にはその方向性によって2種類のものがある。
外に飛び出す自由と、内に留まるという自由。
私の場合、外に飛び出してしまうと途端に不自由に感じてしまうのだ。
私と向き合ってきて今年でもう26年になる。
私は内に留まるという自由を求めているように感じる。

 

内に留まるということがどういうことなのかを考えてみる。それは、別に家の中に引き篭もりたいということではない。
もちろん外には出ていく。仕事にも買い物にも行くし、たまには遠出だってする。
誰かと関わりを持つことだって当然する。
私にとって内に留まる、というのは最終的に内にとどまれる場所をきちんと用意することだと思う。
内側に引っ張られるのだ。


生活の始点は家だと思う。

家から始まって、家に終わる。大袈裟に行ったら、家で生まれて死ぬのも家だ。

だから私は家をとても大事に思っている。

私にとっては家が一番落ち着ける場所で、一人になれる場所でもある。

どんな自分でもさらけ出せるのも家で、さらけ出しても何も恥ずかしいことは無い安心感がある。

 

私はいつの日か箱庭を作りたいという思いがある。

色んなものから縛られなくても生活ができる環境を作りたい。

程よく世間から切り離され、程よく関わっていられる、そんな場所を求めている。

 

衣食住とはよく言ったもので、それを満たすことができれば生活が成り立つ。

その全てを箱庭で賄うことはできないけれど、極力箱庭の中で循環できるような生活をできたらなと思う。

それはきっとちょっと不便だ。でもその不便さを私は大切にしたい。

程よく世間は社会と関わって、程よく距離を置いたそんな暮らし。

そこに私は根を張りたい。